運命にあらがえ‼ ~実録 間の悪い男~
人はそれを特殊能力と呼ぶ⁉
以前からずっと感じてはいたのだけど、僕という男はツキがないというか、
間が悪いのだ。
呪われてるのか⁉と思うほど。
単なる思い込みだろうし、気のせいだとは思うのだが、改善しようにも自分では手の施しようがないのではないかと思えることが多い。
まず「雨男」だ。
よく「洗車をすると雨が降る」そんな都市伝説的なことが言われるが、まさに僕がそんな感じなのだ。
曇っていて雨ふるのかな、どうかな、みたいな時に雨具を持たずに出かけると、
ほぼ雨が降る、しかも雨が降るのは雨具を取りには戻れない所まできてからだ。
逆に雨が降ることを想定して装備を整えて出掛けると雨は降らない、何なら晴れてきたりして、その装備は全くのお荷物になる。
僕は普段は自転車で通勤や移動をするのだが、自転車で帰宅中に突然の雨、雨具はないとなると二つの選択肢がある。
一つは雨宿りするだが、どこかの軒下とかに身を寄せたが最後、
雨はなかなかやまない、もしくはどんどん強くなるのだ。
僕の性格上、濡れるのを承知の上で猛ダッシュで家に帰ることが多く、
当然びちょびちょで帰宅するはめに。
そして僕がずぶ濡れで帰りついたのを確かめるように雨はやむ、もしくは晴れてくる。
こんなこともあった。
朝の出勤時強い雨が降っていたので自転車を諦めて電車で職場に向かうことにした、
自宅から駅まで激しい雨が降っていたが電車に乗ると雨はやみ、空も明るくなった。
電車を降り職場まで歩きだすとまた激しい雨が。
職場につくと雨はやむ。
さすがにこれは自然現象なのか⁉と疑いたくなるほどの間の悪さに、
僕を濡らすこと目的で雨降ってませんかと本気で頭にくるのだった。
最近ではかなり自虐的になり、今降っている雨は僕を濡らすために降っているもので、たまたま僕の近くにいたばかりに巻き添えになった方々ごめんなさい、
とさえ思えるまでになった。
悔しさのあまり、スーパーポジティブに表現し、
「僕は雨男ではない、雨を降らせる能力を持っているのだ」と考えると少し気が紛れることに気づいた。
この間の悪さは、本当に僕に非はないのだろうか、
何か自分で改善できる策はないのか、考えてみた。
① 出掛ける時はいつ雨が降ってもいいように、常に雨具を携帯する。
② 自転車での移動をやめ、車を購入する。
➂ 仕事をやめ引きこもる、外には出ない。
いや、そんなことではないんだ、ポジティブにいこう。
むしろ雨を歓迎できるほどの自分になろう。
そう思い直しては今に至る次第である。
赤信号シンドローム
「雨男」以外でも間の悪さはある、
これも自転車と関係あるのだけど、人よりも赤信号に捕まる気がしてならない。
これも数学的に統計を出したわけではなく、感覚的な領域を越えないのだけど、
例えば目的地までに10個の信号を通過するとしたら、7個は赤信号だと思う。
しかもだ、
赤信号に捕まるタイミングも最悪で、もうすぐ青になる赤ではなく、自分の目の前で青から赤に変わる絶妙のタイミングで捕まるものだから、赤信号の苦痛を余すことなく味わえるのだ。
これも不思議なほど見事なタイミングで赤になるのが、腹立たしいやら悔しいやらで、解決策はないかと考えてみた結果、
思いついたのは自転車の進む速度を変えてみるということだった。
これは一つの仮定だが、僕の自転車を漕ぐペースが、
何故か信号が変わる波長にシンクロしてしまっていて、一度赤信号で止まると
その後ずっと赤のタイミングになるのではないのだろうか⁈
その理論をもとに僕は急いで走ってみたり、逆にゆっくり走ってみたりしてタイミングをずらそうと試みたのだが、
何故か結局赤信号の呪縛を解くことはできなかった。
ところがだ、
この件に関しては偶然解決の糸口を発見した。
ある時自転車で走行中にラインの通知が入った。
スマホ見ながら運転など僕にはありえないので、
次の赤信号で止まった時に内容を確認しよう、どうせすぐに赤信号につかまるのだから。
そう考えたとたんに、あら不思議!
赤信号に捕まらないでスイスイ進めたのだ。
つまりはこういうことだ。
何か得体の知れない力(運命的な⁉)で僕の都合よくならないように仕向けられていて、この場合は赤信号で行く手を遮ることで目的地に行くことを邪魔をする。
ところが何かの都合で僕が赤信号で止まりたいと望んだなら、
その得体の知れない力は、それを阻止すべく止まれないようにしてくるのだ。
これは大発見じゃないか!
逆手に取ってやる。
それから僕は移動の際に、ただ目的地に行くことだけに捉われずオプションとして、赤信号で止まった時にやるべきことをいくつか用意していくようにした。
例えばSNSなどの通知を見る、この後の予定を確認、水分補給する、軽いストレッチをする、天気予報を確認などだ。
これにより進んでもよし、止まってもよしの思考ができ、
気分的な負荷が減少したのだった。
踏切シンドローム
街を移動する際、避けては通れぬ赤信号よりも更に厄介なのが、「踏切」だ。
鉄道は縦横無尽に街を横断し、容赦なく行く手を遮る、まるで壁だ。
今でこそ、線路を地下に潜らせたり、高架を作ったりと対策はとられているが、まだ一部に過ぎないし、現在進行形であり気が遠くなるほどの時間を要するだろう。
そして現在もこの線路を渡るには基本、踏切を渡るしかない。
多くの踏切は、上りと下りの二本の線路を跨いでいるが、場所によっては複数の路線を跨いでいて、ほとんど開かない「開かずの踏切」と呼ばれる踏切も少なからず存在する。
僕の住まいも駅の近くで、東に行くには踏切を渡るしかない。
そしてもちろん踏切でも僕の間の悪さは炸裂する。
まず高確率で、踏切は閉まっていて、開いていたとしても目前で警報がなる。
ここまでは赤信号と変わらないのだが、踏切が赤信号と決定的に違うのは、一度閉まるといつ開くかわからない点だ。
上りと下り二本の線がある為、仮に上り電車が来て踏切が閉まっても、それを待っている間に下り電車も来てしまい、二本分待つはめになることはよくあることで、間が悪いとこれが連鎖してしまい思わぬ足止めを食らうこともある。
ここの踏切は駅のすぐ側にある為、踏切から駅の様子がわかる。
上りの電車はこの踏切を通ってから駅に入り、下りは逆に駅を通ってからこの踏切に来る。
踏切というやつは、警報が鳴ってもすぐには閉まらない、まだ渡りかけの車や歩行者が渡りきるのを考慮してバーが下りる。 更にバーが下がってもしばらくしないと電車は通過しない。これは安全面を充分に考慮し、計算した上で踏切の何キロ前に来たら警報を鳴らすといったことが決まっているからだと思う。
それは充分承知した上で、この踏切。
納得いかないのが下りの各駅停車が来るときで、
まずは警報が鳴りバーが下がる。しばらくして電車が見えてくるのだけど、電車はゆっくりと速度を落としながら踏切手前の駅に停車するのだ。
そう、この電車は踏切を閉めて多くの人を足止めしておきながら、踏切手前で停車するという暴挙にでるのだ。
そして電車の扉が開き乗客が乗降りし、扉が閉まり電車はゆっくりと動きだすと、
少しづつ加速しながらこの踏切を悠々と通過していく。
その一連の様を踏切で待ちながら目の当たりにする人々の屈辱感と言ったら想像するに容易い。
自称、間の悪い男の僕はこの下りの各駅停車によく出くわすのは言うまでもなく、
しかもこの下りの各駅停車に遭遇してしまうと、他よりもタイムロスが大きいが為
その間に上り電車が連鎖してくる可能性が非常に高くなるという
理不尽極まりないおまけ付きなのだ。
なんだか間の悪い男の単なる愚痴みたいになりましたが、
僕の間の悪いエピソードはつきません。
次回に続くということで今回は〆させて頂きます。
ありがとうございました。
つづく