金時日記

日々の感動を書き綴る

 ☆★暑いときの最強飲料★☆

今週のお題「暑すぎる」 

暑いときは飲む幸せ

 

もう何度目の夏を迎えたのだろうか、毎年のように「今年の夏は暑いな」と言っている気がする。 温暖化の影響で毎年少しずつ平均気温は上がってはいるようだが、夏は暑いのが普通なんだと納得するようにしている。

僕が暮らす大阪は暑い。関西風に言うと「えげつない暑さ」だ。

暑いときには暑いときならではの幸せがあるので、それを愛おしむことが旬の贅沢といえるのかな。

夏の暑いときは昔も今も「飲む」ことが至福の時で、とりわけ冷えた飲み物を口にして熱い体に吸収される瞬間、人は思わず「あぁぁー!生き返る!」と言葉にしてしまうほどのこの上ない幸せを痛感できる。

 

だからなのだろうか、僕は人が何かを飲んでいるのを見るのが好きだ。

何を飲んでいるに限らず、何かを飲んでいる時皆本当に幸せそうに見えるから。

人間だけではない、犬や猫がペロペロと水を飲む姿、またサバンナなどでシマウマや象などの野生動物が水辺で水を飲むシーンも表情に出ない幸福感があって好きです。

 

特に子供は本当においしそうに飲む。

夏場など外から汗だくで帰ってくると髪の毛もびちゃびちゃで額に流れる汗もぬぐわずに冷蔵庫の冷たい飲み物をごくごくと飲み干し

「あぁーー!おいしい!」

と言ってあふれんばかりの笑み。見ているこちらがうれしくなるほどだ。

 

人には生まれながらにして「飲む」という機能が標準装備されていて

産れたばかりの目も見えない赤ん坊が母親のおっぱいを口にしたとき

何と上手く飲むかとおどろかされる。 誰にも教わらず練習もせずに飲めるのだから。

 

「食べる」ことはもっと後に少しづつ慣らしながらになるのに、「飲む」ことは産まれると同時に習得しているのだから 言い換えれば「生きることは飲むこと」といえるのではないか。 だとするなら飲んでいる時に幸せを感じ、飲んでいる人が幸せそうにみえるのもうなずける。

 

 

 

暑いときはコレ!

 

夏の冷えた飲み物の代表と言うとやはりビールだろう。

 子どもの頃、夏の夜 仕事から帰った父親はひと風呂浴びると短パン、ランニング、首にタオルを掛けた夏定番のオヤジ部屋着で、テレビが一番見やすいテーブルの指定席にどっかりとあぐらをかくと、それはもうおいしそうにビールを飲んだ。

 

 この金色のやたらと泡立つ飲み物はアルコールが入っているので子供は飲んではいけないことは聞いていたのだけど父親のこの飲みっぷりからして 相当うまいに違いない

 そんな眼差しで見ていたら、父親が「飲むか?」と言うので、そのグラスに入ったビールをひと口飲んでみる。

子供が普段おいしいと思って飲んでいるのは、サイダーやコーラといった甘い物なで、初めてこの苦いビールを飲んだ時のカルチャーショックは忘れもしない。 

 

 このビールというやつは きっと大人になればおいしく感じるんだろう 

そう思っていたが、結局僕は大人になった今でもビールもお酒も好きになれずにいた。

 

そんな下戸な僕の夏の冷えた飲み物の代表と言えば、「麦茶」ですよ!

ジャパニーズ麦茶でしょ!これ一択です。

おそらく皆さん飲んでいたはずです、小学生の時みんな学校に持ってきてたもん。

緑茶でなく烏龍茶でもなく、そう、麦茶なんです。

 

今ならペットボトルに入ったものが売られていますが、

一昔前は各家庭で煮出したものを一度冷まし、それをボトルに移し冷蔵庫で冷やすというのが夏の恒例行事みたいになっていて、どこの家庭の冷蔵庫にも冷えた麦茶が常備されていたものです。

 

子供たちは家に帰ると麦茶を飲み、食事のたびに麦茶を飲み、更には学校にまで持っていっていたのだから、この頃の子供の体は麦茶で形成されていたと言って過言ではない。

 

僕が子供の時は今のステンボトルみたいな気の利いたものはなく、

魔法瓶(ネーミングが凄い)というのがありましたが、高価なものだし、やたらとゴツいし、衝撃で内部が割れるという致命的な弱点があり、とても小学生が学校に持っていける代物ではありませんでした。

当時多く普及していたのは、透明のプラスチックのちゃちな水筒で、今なら100均にありそうな、タッパーを水筒型にしたような容器でした。

 

 もちろん保温力など皆無なので、夏はもっぱらその容器に麦茶を入れて凍らせて持っていくのだけど、このままだと時間が経つと凄い汗をかく(結露)ので

この凍らせた容器にタオルを巻き、輪ゴムでとめるのがトレンドだった。

 

麦茶を凍らせるのは時間がかかるので前日の夜に仕込んでおかなければならない。

これは「自分のことは自分でやる」の一環として子供の勤めとなる。

仕込むと言っても麦茶そのものは母親が作って冷やしてあるので、

それを自分の水筒に入れて冷凍庫にいれるだけなのだが、

それを忘れてぽけ~とテレビでも見てようものなら

「明日の麦茶用意したんか!知らんで!」と母親の激が飛ぶのだ。

 

こうして出来た冷凍麦茶を持って学校に行くのだけど、これが意外と解けない。

冷たさをキープするという点ではいいのだが、あまりに解凍が遅いと飲みたいときに麦茶を飲めないという事態が発生してしまうのだ。

 

麦茶を飲むのは授業と授業の間の休み時間で、当時冷房もない教室に

あれだけの子供がいたのだから一授業終えるころにはある程度は解けはするものの、

わずかに解けた部分はすぐに飲んでしまう。

終いには水筒の飲み口ではなく蓋ごと開けて逆さにして中の氷を頬張る始末。

 

周りを見るとみんな同じように氷にしゃぶりついているという

小規模クラスターをしばしば目にした。

 

目の前に冷たい麦茶があるというのに、好きなだけ 飲めないという真綿で首を締められるような苛立ちはあったものの、逆に考えると、この氷のおかげで下校時まで冷たい麦茶が楽しめ、水分補給ができたのは理にかなっていたといえるのかもしれない。

 

 みんなが同じような容器に同じように麦茶を持ってきていたので、自分が先になくなった時など、友達に分けてもらうことがあり、そんな時に衝撃の事実を知ることとなる。

 

「友達の麦茶は、おいしい」

 

 これはただの錯覚なのか⁉

 「隣の庭の芝は青い」ってやつなのか⁉

 いいや、友達の麦茶のほうがコクがあって香ばしいし、

それに何より色が違うじゃないか、明らかに友達の麦茶は色が濃い、

それはコーヒーかい?というほどに、茶色と言うより黒に近い。

 

他の友達と比べても僕の麦茶が一番色が薄い気がする。

 

そうかそういうことか、

うちは貧しいから麦茶を煮出す時に水を多く入れて薄くしているに違いない、

どうりで僕は橋の下で拾われてきた子に違いない。 

 

 時に この年頃の少年の思考はあらぬ方向へ跳びがちだ。

 

その日、家に帰ると母親に麦茶のことを話し、友達の麦茶がおいしかったこと、うちの麦茶も濃くできないのか、など直訴してみた。

 

すると次の日からさっそく うちの麦茶は色が濃くなっていた。

僕の訴えが承認されたことはうれしかったが、それほど味は変わっていなかったので、市販の麦茶パックメーカーの違いによるものなのかもしれない。

 

 

僕が夏の猛暑に今でもこうして鮮明に思い出せるのは、

あの多感な幼い夏の日、その傍らにはいつも麦茶があったからだと思う。

近年、多種多様なお茶飲料が流通する中、最も飲料が売れる夏に

麦茶がいつまでも人々に愛され続けるのは、他のお茶にはない

ノスタルジーを秘めているからではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

        糸冬